最近、個人的にワークシャツとかワーク物にハマっていますが、、
面白いアイテムをゲット済み。
次回の記事にします。
本題。
先日、現場仕事で愛媛県新居浜市の別子エリアに行きまして。。
前々から「別子銅山は、せっかく四国住みなら行かなくては。」と思っていたエリアで。
今週の土曜の朝にテレビを見ていたら、金沢の21世紀美術館をやっていて、、
「結局、金沢に住んでいたのに行かなかったなーー。。」とか思って。
せっかく松山に住んでいるのだから、別子銅山に行かなければ、という義務感すら芽生えてきて、、
行ってきました。
別子銅山。
だいぶ前に書いたこの記事ですが、歴史好きなワタシにとって、住友家の発展に寄与した別子銅山は気になる存在だし。
↓↓住友家の家紋・井桁マーク
最近個人的にハマっているワーク物の王者であるリーバイスだって、元は金(「かね」じゃなくて「きん」な)の採掘労働者のためのワークパンツとしてこの世に生まれたもので、ネバダジーンズだって金の廃坑で発見されたものだし。
カッパーリベットだって、直訳すると銅の鋲だし。
ということで、、
歴史好き、且つワーク物好きを自認するサスケだけに、別子銅鉱山、別子カッパーマインに行ってきた。
↓↓こんなカッコで。
ほぼ山城攻めのカッコです。
1、パンツ
ワイパーさんのオリジナルのベトパン
2、シャツ
お気に入りのユニクロ・シャンブレーオーバーシャツ
相変わらず最高のシャツです。
スヤいのに。
3、ハット
バズのデニムハット
城攻めその他、日差しが強い夏にガシガシとかぶって、汗だくになったらザブザブと洗濯しております。
スクスクと育っております。
4、シューズ
アディダスのスーパースター80s
復刻のくせして良い雰囲気を醸し出しています。
ちなみに。
購入のきっかけとなったこちらの同モデル。
かかと部分が徐々に傷んできてしまって。
気が付けば接着剤も弱くなって、歯槽膿漏みたくスキマが出てきてしまってますが、、
ステッチのおかげで、以前のヴィンテージアディダスみたいのは多分無いと思われます。
やっぱり、このステッチが重要というのと、スニーカーの経年劣化は難しいというのを実感。
銅山巡りの際は、ダナーライトに履き替えて山登りでした。
まずは、別子銅山記念館を訪れて、改めて銅山と住友家について学習。
同じく三大財閥の三井、三菱に比べると、どうやってあそこまで巨大な財閥に発展したのか不勉強だった住友財閥。
同記念館にて住友財閥の誕生から成長までよく勉強出来ました。
銅の採掘から生まれた住友金属鉱山が住友財閥の源流企業。
江戸時代に別子銅山が軌道に乗り始めると大阪にて両替商を始めて、住友銀行(今の三井住友銀行)に。
銅の採鉱に使用する機械設備の制作から住友重機械工業が誕生。
採掘した銅の加工から住友金属工業が生まれて、こちらは現在は住友から離れて日本製鉄に。
銅の採掘のために電力を供給するにあたって、それが事業化されて住友共同電力。
銅の採掘のために別子山が森林伐採で荒れてしまうと、植林事業から生まれた住友林業。
公害の原因となった銅の精錬過程で発生する亜硫酸ガスを逆手にとって、肥料の原料にして住友化学の誕生。
さらにその肥料を上記の植林に生かして。
上記の銅を商都・大阪に運ぶために海運業にも乗り出して、、
銅を含むモロモロを売ったり、資材調達のために住友商事も発足。
別子銅山経営から派生、成長させた住友も凄いし、、
それらの住友グループの歴史を辿って行くと到達する別子銅山も凄い。
そして、、
この別子銅山記念館も入場料無料。。。
くだらない続100名城のスタンプを押すためだけにわざわざ入館料を支払ってきたサスケにとって、住友グループのこの器量の大きさよ。
一気に住友グループが好きになってしまった。。。
↑↑住友の井桁マークをリスペクトし始めている。
ちなみに、、
人口わずか10マン人の愛媛県新居浜市ですが、、、
住友グループの企業城下町ということで、、
こんなに沢山の住友グループ企業があります。
「住友にあらねば人にあらず。」くらい地域に密着しているのでしょう。
で、記念館の後は、マイントピア別子(かつての端出場坑道エリア)へ。
子供連れファミリーに混ざって、小さな電車(かつてリアルガチに使われていた生活および採掘の蒸気機関車を模した電車)に乗り込む。
↑↑車体には住友の井桁マーク。
変なおじさんと思われたら心外だ。
ワタシは真面目に銅の採掘現場の様子を見たいだけなのです。
ちなみに、マイントピア別子の玄関前に鎮座しているこちらがオリジナルの蒸気機関車のようです。
↑↑今度近くに行ったら、じっくりと操縦席とか見てみます。レイルローダージャケット(所謂カバーオール)着て。
電車の中の様子。
協賛は住友各社。
そして、観光坑道と呼ばれるかつての銅の採掘現場(端出場坑道)に到着。
ひんやりと涼しく、狭くて暗い道を進む。
坑道内の気温は、15.8度。
ん?何か見えて来たぞ。
昔、金山そのものを理解出来ていなかった小学校低学年の頃に家族で行った佐渡金山を思い出した。
こういう人形がムショーに怖かった思ひ出。
お人形さんたちで、江戸時代の銅採掘の様子が再現されていました。
そして、昭和40年代まで採掘されていた海抜マイナス1000メートルまで下りる(らしい)エレベーターに一人で乗るサスケ。。
↑↑ものすごいカジュアルに海抜マイナス1000メートルへ誘ってます。
どうしよう。。途中でエレベーターが故障したら。。。
海抜マイナス1000メートルで独りぼっちって怖すぎる。。
↑↑結果は、、 自分で行って乗ってみましょう。レッツゴー四国!
オトナも子供も楽しめる観光坑道でした。
一通り見て、帰りは歩いてマイントピア方面へ。
当時の水力発電所も見れました。
古めかしいレンガ造りですが、耐震工事も終えて中にも入れました。
計器類には三菱スリーダイヤ。
そして昼飯時だったので、そのまま道の駅でメシを食らって。
マイントピア別子(かつての端出場坑道エリア)から東平(「とうなる」と読む)坑道エリアへ愛車にて移動。
グネグネと山道を登ると、、
広い駐車場に到着。
かつてはこの辺りに1マン人もの人々(鉱夫やらその家族やら)が住んでいた山岳都市だったようです。
学校や病院、はたまた劇場まであったらしい。
東洋のマチュピチュと呼ぶ人もいるとかいないとか。 ⇐正直サスケは「オーバーだろ!」と思いましたが。。
なんか軍艦島を思い出した。あちらは三菱の炭鉱ですな。
銅の貯鉱庫とか見て。
逆光かつギラつく太陽でスマホ画面がよく見えなかったのでピンボケはすまん。
変電所も見て。
↑↑ブレアウィッチプロジェクトを思い出した。
今日はトンネルばっか見てるなーーーとそろそろ飽きてきた。
↓↓第3通洞
そしてブログも書き疲れてきた。。
最後に東平エリアから旧別子エリア(江戸時代に最初に発見された銅山)に移動して、「せっかくだから全部見よう。」と思ったけど、、、
旧別子エリアはリアルガチ登山道らしくて。。
すでに万歩計も1マンをカウントし、午後3時も過ぎており、ここは断念。
けど、そろそろ銅山巡りも腹いっぱいだな。。
帰りは逆に四国中央市に抜けるルートを選択。
最後に具定展望台(偶然見つけたけど良かった)なる場所から穏やかな瀬戸内海を見渡して。
↑↑やっぱ瀬戸内海は良いな。青い空、青い海、そして浮かぶ島々。。
この絶景に最後は癒された。
結構疲れたけど、行けて良かったです。別子銅山。
さて、せっかく四国に住んでいるのだから、次はどこへ行こうか。
コメントください。
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