アメリカがとうとうイラン攻撃やっちゃいましたね。。
これでまた原油価格が高騰ですね。。。。
ガソリンもまた値上げかーーーーー。。。
心配だ。
本題。
前回の続き。
豊後の最終日。
2日目にしようか、3日目にしようか、最後まで迷っていましたが、ようやくタイトルの「センゴクがやらかした」戸次川古戦場の見学です。
今回の豊後攻めにあたって、センゴク権兵衛の9巻と10巻あたりを入念に読み込んで、予習はバッチリ。
ホテルを8時頃、いざ出陣!!
一応、↓↓こんなカッコな。
前日同様で、シャツをバズのベージュヘリンボーンシャツに変更したのみです。
やっぱり、汗かきにはゴワっとした厚手の生地が良いと実感。
あと、結局いろいろ試したけど、バズは品質が間違いないなと。
まあ、復刻に忠実過ぎて実用に向かないシャツとかも例外でありましたが。
戸次川古戦場は一応、大分市内で、市の中心部からクルマで30分弱の場所。
まずは、センゴクと長宗我部親子とかが軍議をした鏡城へ行って。
「フムフム。ここでセンゴクが我を通しちゃったのね。」と再確認。
↑↑向こう側に見えるのが、島津軍に囲まれて、救援に向かおうとした鶴賀城。
現場の説明板を読んでも、「功をあせった仙石秀久が無謀にも」とか書かれています。
こういう説明板って、本当に地元びいきだから、山陰に行けば尼子びいきで、「卑怯な毛利軍」みたいな書かれ方だし、山陽だと毛利びいきだから「勇敢な毛利軍は」みたいな書かれ方されていて面白いです。
で、戸次川(今は大野川?知らん。)を渡河して。
センゴクたちが救援に向かおうとした鶴賀城へ。
本当に好き者しか行かないような城です。
作業をしていた地元のおじさんに話しかけても、「行っても何もないよ。」てな反応でした。
そして山道を登って、俯瞰で古戦場を見て。
「フムフム。おおよその概要は分かった。」
で、戸次川古戦場の看板を見に行って。
今は普通に幹線道路の国道10号線が走っているのどかなイナカ道なんだけどね。
こんなのどかなイナカ国道の脇で、かつてはこんなおっかないシイマンズ石曼子たちと
激しい戦があったなんて。。。
で、国道10号線沿いにある長宗我部信親公の最期の場所で手を合わせて。
↑↑長宗我部氏の現当主の名前もあった。
関ケ原で西軍に与したけど、生き残れたんですね。
お墓にも行って、合掌。
時間的に余裕はたっぷりだから、たっぷりと時間を割いて見学しました。
で、お次は角牟礼城(続100名城)へ。
まあ、沼城(全く興味が無いけど、スタンプのためにしょうがなく行く城)ですな。
イノシシと遭遇したし。。。
割愛。。
で、この後は時間が余ってしまって(佐賀関発のフェリーは20時出航)。
いつもみたく別府温泉あたりで精進落としも考えましたが。。
「行ける時に行かねば。」と考えてしまって、いよいよ豊前中津城(続100名城)まで足を伸ばすことに。
中津は同じ大分県でありながら、かつては豊前で、どちらかというと大分市よりも福岡県北九州などを向いているようです。
はーーー、、遠くまで来たな。
けど、中津城と言えば、大好きな戦国大名の黒田官兵衛の城だしな。
来て良かったわ。
天守閣も立派。
だけど、城内はこんな感じで、フラワーアレンジされている鉄筋コンクリート造りで残念でした。
もう、記事書くのが疲れてきたぞ。
で、何度も書いているけど、フェリーの出航時間は20時だから、ゆったりまったりと下道で中津から佐賀関へ向かいつつ。
途中、別府で念願だった「資さんうどん」を食べて。
↑↑ごぼ天うどんとおはぎのセット。おはぎがセットって、、地域によって色んな文化があって面白いな。
20時出航のフェリーに乗って。
21時10分に三崎港に到着して。
2時間かけて、松山の自宅に23時過ぎに到着して。
はーーーーーーー。。。
疲れた。
けど、楽しかったなーーーーー。
こんな感じでクタクタだけど、楽しかった豊後攻め。
距離感がつかめたので、来月の3連休は日向、大隅、薩摩攻めを敢行します。
なんだかとっても贅沢な気分。。
コメントください。
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