3連休だったから近江攻めしてきた。その3 そしてまた山登り。。

ども。サスケです。

今週末は大好きなマイルド気候。
今回の近江山城攻めで、汗その他でメタメタになったシエラをクリーニングに出してきました。
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また、メルカリでサヨナラしたスプルースのコンチョボタンヘンリーネックのカットソーを発送してきました。
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↑↑当ブログで書いた記憶が無い。購入は15年ほど前。いつか着ると思っていたけど、サヨナラ。

記事にはしていませんが、フィルソンのパツパツベストも旅立ち、、
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結局あんまり着なかったグリーンターナーもサヨナラ。
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↑↑結局6年半ほど温めた事になるな。

こんな感じで、次のための軍資金となり、経済はグルグルと回る。
寝かせておくならサヨナラするのが良いと思います。


本題。
前回の続きです。 ⇐上記の通り、ファッションネタを強引にねじ込んで、読者が離れないようにしたつもり。

そして、小谷城に満足しつつ、向かった先。
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これまたどうしても見たかった姉川古戦場。
大好きなアニメや漫画の聖地巡礼というものがありますが、サスケも漫画『センゴク』に多大な影響を受けております。

まず最初に、織田VS浅井の合戦城を見て、
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姉川って思っていたよりも小さな川だったけど、そこでの大合戦を想像すると川の大きさは別にどうでも良い。
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そして次は徳川VS朝倉の合戦城へ移動。

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そしたら、こちらの徳川VS朝倉の合戦場なんですけどね、、
のどかなんですよ。
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お年寄りとかがゲートボールをエンジョイしているような公園で。

だけど、、

だけど、この地は激戦の合戦場だったらしくて、、

地名が、、

血原だって。。。
こわ。。
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昔から我田引水で争いが絶えなくて、姉川合戦でその名の通り、血原・血川の名前が決定づけられたらしい。。
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↑↑アップで立札を読んでください。

だから、老人たちがゲートボールを楽しむ公園名は、、、
血原公園。。
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血原公園でゲートボールを楽しむ老人たちを見つつ、「平和って良いな。」と噛み締めた。

地名って、過去に何があったかとか、どんな場所なのかとか表していて面白いです。
もしも、あなたが住む家の住所が、「希望ヶ丘」とか今風な地名だったら、それは土地のイメージを変えるために、後から大手不動産屋さんによって、名付けられた地名です。
昔の実際の地名をチェックしてみると色々と思うものがあると思います。

逆に血原は潔い。。

そして、次の目的地の国友鉄砲ミュージアムへ移動。
国友は、戦国時代から鉄砲鍛冶の町として発展し、江戸時代は幕府直轄地だったそうな。
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300円を払って入場。スヤい。

そんな鉄砲ミュージアムの中で、面白いものを見つけました。
↓↓コレ。
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「Waaaao!! Japanese boro!!」と、炭鉱夫が実際に履いていたようなネバダジーンズまで行き着いたジーパンマニアたちが次に辿り着くのが、ジャパニーズボロらしいですが、確かにこれも紛れもないヴィンテージですわな。

その名の通り、ボロ作業着です。
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↓↓しっかりとタテ落ち。ピンボケはすまん。
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なぜ鉄砲の町になったのか、などの歴史や様々な鉄砲が見られて楽しかったです。
300円が非常にリーズナブルでした。
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そして次の目的地が長浜城。
秀吉が初めて城持ち大名になった地で、さらには石田三成とか増田長盛とか、その後の奉行衆という優秀な官僚となっていく少年たちを取り立てた地だけに、期待もそこそこでしたが、、

建物は立派だけど、中の様子は鉄筋コンクリート造りなビルみたいだし、、
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お堀や石垣もあんまりだったし、、
410円も高く感じた。。。
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軽くスルーして次の目的地の彦根城へ移動。

↓↓彦根城のお堀。お城と同様に立派です。
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けど、ここは過去に2回来た事あるし、、、
メジャー過ぎて混んでるし、、

スタンプだけ押して終了。
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タダでスタンプを押せるのは何気にありがたい。
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そして、小谷城と並ぶこの日のメイン。
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佐和山城です!!

100名城にも、続100名城にも入っていない城(跡)なんですけど、
「石田三成に過ぎたるもの二つ。島の左近(島左近)と佐和山の城」という言葉の通り、関ヶ原の戦いまではその山には巨城があったらしく。

↓↓佐和山にはこんなお城があったらしい。
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関ヶ原合戦の後、東軍に攻め滅ぼされて、城は徹底的に破却されて。
石田三成のパパ正継と、アニキの正澄は佐和山城にて自刃。
運び出された柱や梁は彦根城の材料に使われ、彦根城が人気観光スポットであるのに対し、こちらの佐和山城跡はひっそりと。

最近読み終わった司馬遼太郎先生の『関ヶ原』にも出ていて、
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その城名だけは知っていたけど、どこにあるのかは知らなくて。
上巻ですぐのところで、司馬先生が「彦根城の向かいの山」と教えてくれて。
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「これはこの機会に行くしかないな。」と。

で、佐和山をググって。
どこが登山道なのかが分からなかったので、犬の散歩で通りかかった地元のマダムに聞いて。
「おサルさんが出るから、気を付けてね。」と言われ、本日2回目の山登り。

お寺さんを横切って、
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墓地を横目に見つつ、
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山道を登る。。
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キツイ。。はあはあゼエゼエ。
1日で山2つはキツイ。

そして、頂上(本丸跡)に到着。
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「ほおほお。ここが石田三成のパパとアニキが果てた所か。。」

そして、「三成もここからこうして琵琶湖を見たんだな。」と目を細めるサスケ。
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↑↑向こうに見える山が彦根城のある彦根山だと思います。

戦争は勝者と敗者に分けて惨たらしいな。
「ケンカもそうだが、負けるケンカ、戦争はやっちゃダメだな。」と、無能上司とのケンカを思いとどまるサスケ。

個人的には、色々と物思いに耽れて来てよかった城跡ですが、興味が無い人が登るとガッカリするのでやめましょう。

そして、この日はこれでおしまい。
翌日の安土城と観音寺城に向けてホテルに向かったのでした。

次回につづく。
個人的な日記と思ってください。
私も疲れましたので、近江攻めは次回が最後です。
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