前回の続き。
全く一気に振り返れておりませんが、それだけ自身にとっては内容が濃かったということで。
当ブログはサスケの日記的な意味合いも兼ねております。
で、大阪出張のついでに人生初の和歌山県に行ってまいりました。
和歌山県て行った事あります??

↑↑長野県以上にほぼ山です。
大阪出張が決まった際に、「ついでにどこ行こうか?」となって、選んだのが和歌山。
行った事無かったし、行ける時に行っておかないと次があるかどうかも分からないし。
コロナカで色々と思うところもあったし、
今回は割と時間的にも余裕があったし。。
実は、和歌山ってだいぶ前から一度は行ってみたいな、と思っていた土地で。
今から20年以上前の学生の頃のバイト(東京新宿歌舞伎町のカラオケボックス)で知り合ったO本さんというバイトの先輩(今から思うと大した先輩後輩の間柄では無い)が和歌山市のご出身で。

和歌山弁丸出しで、一人称は「ワシ」で。
マンガとかドラマのじい様とかが自分の事を「ワシ」と言うのしか聞いたことなかったのに、本当に自分と歳がほとんど違わない人が自身を自然に「ワシ」と言うのが新鮮で。
バイトの給料を握りしめて、初めて風遊びに一緒に行ったのもO本パイセンで。
「O本さん、自分緊張してきました。。」
「おう。サスケ、ワシもじゃ。。」
とか待合室で会話して、当時珍しかったマジックミラーで仕切られた歌舞伎町の店舗型デリヘルに行ったのも、今では懐かしい思い出。 ⇐マジックミラーもずいぶんとメジャーになったなあ。。
当時サスケは19歳とかハタチとかその辺。
街を歩く見知らぬ女性に声をかける遊び(所謂ナンパ)とか。
カラオケボックスに遊びに来た女性に声をかけて、バイト終わりに一緒に飲みに行くとか(所謂ナンパ)。 ⇐今同じようにそれをやったら、不審者(おじさん)による声かけ事案とかになる。。
上記のとおり、バイトの給料が入ったら酒を飲んで風遊びに行くとか。
色んな事をサスケ少年は、わずか歳の差1つのO本さんに学んだ。。。
そして、大学1年はバイトと遊びに資源(時間)を集中することになり、学校に行くのもわずかになって、、、
単位取得のために、「このままではマズイ。。」となって、2年時には一人で授業に出席したりして、、、
O本さんとは袂を分かった。。。
そんなO本さんのホームタウン和歌山市。
いつか行ってみたいな、と思いつつこの歳になった。。。
あれから25年の月日が経った。。。
で、今回は和歌山市。

あとは、前回の大阪のとおり、大好きな戦国武将の真田父子が関ヶ原の合戦の後に蟄居を命じられた九度山という土地も行ける時に行って見ておきたいな、となって。

現在読み直しているマンガ『センゴク』で、雑賀衆とか根来衆とかも気になっていたし。
説明が長くなったが、そんな理由で今回は和歌山へレッツラゴー。
最初は九度山って、和歌山市からしか行けないものとばかり思っていたけど、高野山金剛峰寺のおひざ元だけに、大阪なんばから南海電鉄高野線というのがあって。
↓↓こんなルートで九度山から3駅隣の橋本へ入って、九度山へ。

高野山参りの年寄りとかインバウンド外国人たちを尻目に、九度山駅で下車。
九度山って、蟄居と言う位だから、どんだけ山の中の寂しい所なんだろ、と思っていましたが、何だか真田父子の本拠地の上田とあんまり変わらないような。。
むしろ上田と似た雰囲気でした。。
山に挟まれていて、上田は千曲川だし、九度山は紀ノ川が流れていて。
↓↓上田

↓↓九度山

で、とりあえず真田父子が蟄居していた真田庵を見学して。


九度山真田ミュージアムとかも見学。
真田親子は九度山でも愛されていました。
興味が無い御仁にとっては何ともない九度山ですが、サスケにとっては、行って見たかった土地なのです。
で、JRの高野口駅まで歩いて、JR和歌山線で和歌山市に移動。

前回書いたとおり、シエラのコートはただ単にジャマなだけでした。
みかん栽培も盛んな和歌山県。
気候的には瀬戸内気候に属するらしいです。
気温的にはこの時期でも20度くらいでポカポカ陽気。
天気も太陽がまぶしいくらい。
暖かい日差しの中、電車に揺られて1時間ほど。
和歌山に到着。さらに和歌山市駅に移動。

和歌山にはJR西日本の和歌山駅と和歌山市駅があります。紛らわしい。
ほほーー。コレがO本パイセンのホームタウンの和歌山ね。
初めて降り立つ和歌山の地に、なかなか感慨深いものがあります。
和歌山市駅は南海電鉄が乗り入れていますが、表玄関は和歌山駅の様子。
かつて、まだ大鳴門橋(昭和60年に開通)が出来る前は、四国(徳島とか?)から大阪辺りに行くには、船で和歌山まで来て、和歌山市駅から大阪方面に移動していたらしいのですが、
↓↓一番右が大鳴門橋。

大鳴門橋が出来てからは四国から和歌山への人は途絶えて。。
距離感はこんな感じ。

和歌山市のかつての活況はだいぶ昔の事になった様子。
昭和60年には人口が40マンを突破するほどだった和歌山市も現在の人口は35マン程度。
人口が最盛期の1割減となった中核市の和歌山市の現状をこの目で見てみたい、というのも今回訪れた理由でした。
そしてホテルにチェックイン。
時間はすでに午後2時半くらい。
そろそろ腹も減ってきたぞ。
荷物をホテルに置いて和歌山ラーメンを目指しつつ、和歌山の街を探索。
和歌山城は立派だねえ。。翌日見に行く予定。

流石は将軍御三家のおひざ元。
街の規模も大きいです。
富山市あたりと似たような感じ。
そして、、
かつての和歌山の繁華街「ぶらくり丁」に足を踏み入れると、、、

おおお。。
なかなかのシャッター街だな。。。
地元長野の権堂と似たような雰囲気だが、もともとのアーケード街の規模がこっちのほうが断然大きいだけに、シャッター街にも迫力があるな。。
かつてはリアルマッコイズも店を構えていたらしいし。

かつては人で賑わっていたらしいことは容易に推測できる。。
↓↓ココがぶらくり丁エリア。結構広いです。

そして、和歌山探索をブラブラしつつ、目的地の和歌山ラーメン『井出商店』に到着。

井出商店は、横浜ラーメン博物館にも出店していた有名店。
井出商店を目指して歩いて来たのですが、角を曲がった瞬間に「臭うまそうなニオイ」がツンと鼻に来ました。
で、和歌山ラーメンらしく、ゆで卵と早寿司と一緒に。



歩き疲れていたので、瓶ビールも所望したのですが、置いていないのは残念。
大変美味しくいただきました。
で、和歌山の表玄関の和歌山駅前をふらつくと、、、

これまたなかなかのシャッター街。。。

ラーメン1杯200円だし。
そして、さらに練り歩いて行くと、またまたシャッター街。

なんかもうね。。
軍艦島とか見に行った時の様な気持ちでした。。
「あああ、、、ここにも人々たちの活気があったんだなあ。。」って。
それと同時に何だか昭和の懐かしい雰囲気というか。。
ビーバップハイスクールの映画版みたく、こういうアーケード街でヤンキーたちがケンカしてたのかなあ、、、みたいな。
こんな感じで、なんとも言葉では言い表せない気持ちで、夜は更けていったのでありました。
ホントに一気に振り返れないな。。
次回に続く。
コメントください。
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